<?xml version="1.0" encoding="utf-8"?><feed xmlns="http://www.w3.org/2005/Atom"><generator uri="https://jekyllrb.com/" version="4.4.1">Jekyll</generator><link href="https://taishi.org/ja-jp/feed.xml" rel="self" type="application/atom+xml"/><link href="https://taishi.org/ja-jp/" rel="alternate" type="text/html"/><updated>2026-03-04T06:40:21+00:00</updated><id>https://taishi.org/feed.xml</id><title type="html">Taishi Nakashima 中嶋 大志</title><entry><title type="html">続デジタルネイティブ</title><link href="https://taishi.org/ja-jp/blog/2025/digital-native-ii/" rel="alternate" type="text/html" title="続デジタルネイティブ"/><published>2025-07-15T00:00:00+00:00</published><updated>2025-07-15T00:00:00+00:00</updated><id>https://taishi.org/blog/2025/digital-native-ii</id><content type="html" xml:base="https://taishi.org/blog/2025/digital-native-ii/"><![CDATA[<h2 id="概要">概要</h2> <p><a href="https://taishi.org/ja-jp/blog/2025/digital-native/">前回</a> の続き</p> <h2 id="青年期">青年期</h2> <h3 id="20172019-大阪大学">2017–2019, 大阪大学</h3> <p><strong>思いつくままに書いているので時系列がおかしいです．そのうち修正します</strong></p> <p>2018年4月に<a href="https://sys.es.osaka-u.ac.jp/">大阪大学基礎工学部システム科学科知能システム学コース</a>に進学した <sup id="fnref:1"><a href="#fn:1" class="footnote" rel="footnote" role="doc-noteref">1</a></sup> ． 当時の実家から自転車で20分ほどの距離であったので毎日自転車通勤していた． ちなみに同じ学科・コースに編入した同期は私を含めて5人で，そのうち3人が博士後期課程に進学し博士号を取得した． 多分ほかのコースの同期に比べてかなり高い割合のはず．</p> <p>大学に入ってまず衝撃を受けたのはとにかく人の多さである． 昼に食堂に行くにも教室を移動するにも人が多すぎてかなりつらかった． 特に年度初めにある健康診断の行列が苦痛であった． 豊中キャンパスの図書館下食堂（通称カンシタ）で販売されている天津麻婆丼（通称テンマ）は阪大生のソウルフードとされ，例に漏れず私も好んでいた． カンシタ前の自動販売機はモンスターエナジー（以下，モンエナ）が190円であったことからテンマとモンエナの悪魔コンボをよくキメては3限で気絶していた．</p> <p>憧れのキャンパス生活が始まりなんかサークルでもやろうかと色々探したが結局は高専時代と同じく吹奏楽をすることにした． <a href="https://www.ouwo.biz">大阪大学吹奏楽団</a> という名前のサークルに所属した． 楽器は変わらずトランペットである． 高専時代は全員で30人くらいの小規模バンドだったのがいきなりトランペットだけで20人・全員で90人くらいの大規模バンドになりこれまた衝撃であった． 全員が全部の曲を演奏しなくてもよいということも文化の違いであった． 曲も難しいものばかりでかなり苦戦した． 当時の<a href="https://www.ouwo.biz/news/968/">サマーコンサート</a>と<a href="https://www.ouwo.biz/news/1275/">定期演奏会</a>の曲目がまだのこっていた． 中学高校とずっと吹奏楽をやってきた人でもあまり知らないような曲が結構多い． とにかく難易度が高いので練習が大変であったがとても楽しかった．</p> <p>授業も多様で面白かった． 元々は制御系の学科だったこともありロボット工学，制御工学，最適化などの授業が多く楽しかった． せっかく総合大学なので他学科の授業も受けてみたいと思い，大学院人文学研究科の <a href="https://researchmap.jp/bor">Bor Hodošček</a> 先生の自然言語処理の授業を受け， Jurafsky の Speech and Language Processing を輪読して簡単な品詞タグ付けを Ruby で実装したりした． 大学院の授業にもぐったりしてみたがほとんどは難しすぎてすぐについていけなくなり離脱した．</p> <p>同時期に <a href="https://www.arcadia.co.jp">株式会社アルカディア</a> という箕面駅すぐ近くの変なIT企業でバイトを始めた． ホームページに音声合成だとか音声波形分析だとか書いていたので面白そうと思い応募したが，実際の業務内容は社内システム修正のお手伝いだった． PHPで書かれた社内システムをGoでイケてる感じに書き直すというだけなのだが，この時にgit/GitHubやDockerの使い方を学んだ． それまでなんとなく使っていたブラウザが，裏側ではどのように動いているのかなどweb系開発の基礎知識も学ぶことができた． このライブラリのこのバージョンはセキュリティの問題ですぐにアップデートするべきだが今使っているシステムのこの部分が動かなくなるのでまずは別の箇所を修正する，だとか多分web系あるあるぽいことを体験できた． 同時にこの時，web系開発をずっと続けるのはつらそうだなとも感じた． 当時親の事業がイカんことになり家に全然お金がなくサークルなどという贅沢をするにはバイト必須だった． アルカディアでのバイトをする前はコンビニと塾でバイトしていたが学業との両立がつらくなりすぐ辞めてしまった． その点アルカディアはシフトが極めてゆるく週初めにいつ行きますとかメールしてその時行けばよかったので学業とも両立もしやすかった． 卒業したらなんかIT企業で働くんだろうな，くらいしかまだ想像のついていない学生のみなさんはそういう企業でバイトしてみるといいかもしれない．</p> <p>3年が終わり研究室配属が近づいてきた． この学科の研究室配属は学生が研究室の希望を順位づけし，また研究室側も学生を順位づけして <a href="https://en.wikipedia.org/wiki/Gale–Shapley_algorithm">安定マッチングアルゴリズム</a> により決定するという伝統らしい． 音に関する研究がしたいと思っていたので <a href="http://sip.sys.es.osaka-u.ac.jp">飯國研</a> が第一志望だった． 飯國研で当時准教授だった <a href="https://www.kyoto-su.ac.jp/professors/ise/ise/ise_kawamura_arata.html">川村 新 先生</a> のもとで研究したいとアピールしまくっていたが，なんと4月から川村先生は京都産業大学へ栄転されることが告げられた． 博士後期課程まで行くことを当時すでに意識していたので，飯國研に行けたとしても今後5年間音の研究をできるか不安があった． そういうわけで飯國研は第一希望とはせず，外部の大学院進学を検討することにした． 研究室の希望調査はダメ元で学科内で最も人気が激しい <a href="https://www.irl.sys.es.osaka-u.ac.jp">石黒研</a> を第一希望にした．</p> <p>4年生になった． 安定マッチングアルゴリズムの結果，第３希望くらいに書いていた <a href="https://researchmap.jp/Toshimtsu_Ushio">潮 俊光 先生</a> の研究室となった． 潮研は編入同期も一人いて心強く，先輩・先生方の面倒見がよかったため結果的には非常に良いマッチングであった． 卒研のタイトルは「強化学習を用いたQoS に基づくアンチジャミング移動制御」であった． この時せっかく強化学習やモデル予測制御を勉強したので，今の研究にも何かの形で活かしたいものである． ちなみに現在の妻とはこの頃に， <a href="https://note.com/memoconhaiizo/n/n01c6c8aa64b2">関西学生メモリアルコンサート</a> （通称メモコン）という演奏会を通して知り合った．</p> <p>さて，大学院をどこにすべきか． 学部3年の当時は極めて漠然と「音の研究がしたい」くらいにしか考えていなかったが，いろんな授業を受けたりTwitter（当時）を見て少し解像度が上がっていた． 特に興味が強かったのは「音源分離」という研究である． 音源分離は自分の経験と強く結びついていた． 高専時代の吹奏楽部はマーチング <sup id="fnref:2"><a href="#fn:2" class="footnote" rel="footnote" role="doc-noteref">2</a></sup> もやっていたのだが，マーチングの楽譜は普通の吹奏楽曲と違って楽譜がないことも多かったので耳コピして楽譜を作る必要があったのである． 当時はAudacityでバンドバスフィルタをかけたりしてスペクトルのピークを眺めながら頑張って何の音がなっているのか推定しようとしていた． もちろんそれだけでは全然楽器の抽出にならないので耳コピの役には大してたたなかった． 当時Twitterでフォローしていた <a href="http://d-kitamura.net">北村 大地 先生</a> が博士号をとりポスドクをされていた <a href="https://www.sp.ipc.i.u-tokyo.ac.jp">東大 猿渡研</a> に連絡をとりいろんなお話を聞いた． 近い分野の研究者がいる他の大学として <a href="http://sap.ist.i.kyoto-u.ac.jp">京大 河原研</a> の吉井先生（当時），そして首都大（当時） 小野研の情報をこのとき得る．</p> <p>ムリと言われた阪大に頑張って入ったんだしもうちょい頑張れば東大さえも夢ではなかろうという浅い考えがった． そんなわけで東大猿渡研を第一志望とし，京大 河原研，首都大 小野研を併願した． 入試のスケジュールは以下の通り：</p> <ul> <li>2018年8月6日 京都大学，筆記</li> <li>2018年8月7日 京都大学，面接</li> <li>2018年8月9日 首都大学東京，筆記・面接</li> <li>2018年8月21日 東京大学，筆記</li> <li>2018年8月21日 東京大学，面接 もちろんお盆などなかった． 今振り返ると極めて無茶なスケジュールである．</li> </ul> <p>結果は東大も京大もむなしく不合格，首都大だけ合格であった． めちゃくちゃ頑張ったが結果はまるで伴わず大きな挫折であった． 家族からは「せっかく苦労して阪大まで行ったのに東京の私立大学行ってどないすんの」などと止められたりもした． それくらい関西では首都大学東京の知名度などなかった． 音源分離の研究をすると決めていたので，潮研で進学する選択肢はもたなかった． 浪人も頭によぎったが，いろんな人に相談した結果，「小野先生のところでしっかり頑張ればきっと大丈夫」と思い首都大への進学を決定した． あれから7年経った今の結果だけを見ると，小野研究室でなければ学位も取れず就職もできなかったと思われるため，やはり当時首都大に進学していて大正解であったと感じる．</p> <h3 id="20192021-東京都立大学大学院-博士前期課程">2019–2021, 東京都立大学大学院 博士前期課程</h3> <p><strong>to be continued…</strong></p> <ul> <li>東京生活の始まり</li> <li>小野研生活の始まり</li> <li>鳥取で学会</li> <li>ICA ドイツ</li> <li>コロナの始まり</li> <li>DC1 申請書つらい</li> <li>LINE インターン</li> <li>オンライン国際会議つらい</li> <li>CREST</li> <li>DC1 採択の喜び</li> </ul> <h3 id="20212024-東京都立大学大学院-博士後期課程">2021–2024, 東京都立大学大学院 博士後期課程</h3> <p><strong>to be continued…</strong></p> <ul> <li>目の手術</li> <li>韓国語しゃべれるようになった</li> <li>ICA 韓国</li> <li>ICASSP ギリシャ</li> <li>就活つらい</li> <li>博論つらい</li> </ul> <h3 id="2024現在-東京都立大学-助教">2024–現在, 東京都立大学 助教</h3> <p>だいたい <a href="https://taishi.org/ja-jp/blog/2025/kaibunsyo/">都立大助教体験記 (1 年目)</a> に書いた通り． 3行でまとめると</p> <ul> <li>ドイツたのしかった</li> <li>入籍した</li> <li>忙しかった</li> </ul> <p>である．</p> <p>2025年2月に友人の結婚式に参列した． 参列者に <a href="https://x.com/resonexus_wo">Resonexus Wind Orchestra</a> （通称ﾚｿﾞ吹）の指揮者がおり，6月に演奏会するから出ないかと誘われた． 当時の私は研究が行き詰まっていた． やはり音の研究をするからには音に触れる生活が必要であろう． そういえば最近音楽してないなと思い勢いで参加を決めた． 彼は軽いノリで誘ったと思われるが… 6年ぶりくらいに楽器ケースを開けたくらいの感じであったが，練習のたびになんとかカンをとりもどし，最低限の役目は果たせたと思われる． 音響信号処理の知識を得た状態で久しぶりに音楽活動をしてみると色々と発見があった． スペクトログラムを見れば倍音がどれくらい鳴っているかや数秒前までのピッチの変動も見ることができるため，チューナーがわりにできる． <a href="https://standardtlak.org/mypage/index.html">柴田先生</a> からある日，リアルタイムでスペクトログラムを書いて横軸に音名を書いたやつ作ってくれと頼まれた． 今時ChatGPTに頼めばすくに作ってくれる， python でリアルタイムCQTを実装し共有したところ喜んでくれた． 後日調べてみたら iPhone アプリがすでにあった <sup id="fnref:3"><a href="#fn:3" class="footnote" rel="footnote" role="doc-noteref">3</a></sup>． いわく，基本周波数推定とか高度なことをしなくてもいいから，今鳴っている音がどれくらいの高さでどれくらい強いのかだけわかればいいそうだ． たしかに言われてみればユーザ側が使っているうちに学習するから可視化だけで十分ではないか． ﾚｿﾞ吹の練習で指揮者にスペクトログラムを見せてみたところ新鮮な反応であった． むしろチューナーよりも断然情報量が多いので吹奏楽やオーケストラの現場でもっと使われてもいいんじゃないのか． インパルス応答の概念を学んでからは，マウスピースだけで唇を慣らす練習は意味がないのではないかと思い始めた（エリックミヤシロの教本によるとマウスピースだけのときとマウスピースを本体に付けたときでは唇の形が違うそうである！）． 全国の吹奏楽部のみなさん，音響信号処理を勉強しましょう．</p> <p>二年目もがんばります．</p> <div class="footnotes" role="doc-endnotes"> <ol> <li id="fn:1"> <p>当高専時代の担任には「お前じゃ無理」と言われていた大学に合格できてのでもう自己肯定感がマックスであり当時のイキり具合は <a href="https://w.atwiki.jp/osakahennyu/pages/499.html">このサイト</a> で確認できる．消したいが手元のPCにログイン情報が残っていなくて消し方がもうわからない… <a href="#fnref:1" class="reversefootnote" role="doc-backlink">&#8617;</a></p> </li> <li id="fn:2"> <p>こんなやつ (https://www.youtube.com/watch?v=pLlUpuC-wcU) <a href="#fnref:2" class="reversefootnote" role="doc-backlink">&#8617;</a></p> </li> <li id="fn:3"> <p><a href="https://apps.apple.com/jp/app/tb-spectrogram/id1530170842">TB Spectrogram</a> <a href="#fnref:3" class="reversefootnote" role="doc-backlink">&#8617;</a></p> </li> </ol> </div>]]></content><author><name></name></author><category term="column"/><category term="tweet"/><category term="history"/><summary type="html"><![CDATA[my history of computer and me]]></summary></entry><entry><title type="html">デジタルネイティブ</title><link href="https://taishi.org/ja-jp/blog/2025/digital-native/" rel="alternate" type="text/html" title="デジタルネイティブ"/><published>2025-05-05T00:00:00+00:00</published><updated>2025-05-05T00:00:00+00:00</updated><id>https://taishi.org/blog/2025/digital-native</id><content type="html" xml:base="https://taishi.org/blog/2025/digital-native/"><![CDATA[<h2 id="概要">概要</h2> <p>私は 1996 年生まれで所謂デジタルネイティブと呼ばれる世代でもある． 高専・大学ではコンピュータに関する学科を卒業し，今は大学でプログラミングを教えている． よく世代間ギャップだのジェネレーションギャップだのと言うが，90 年代以降生まれのそれはかなりの部分でデジタル機器の変遷と結びついているように感じる． 時代の流れとともに今は失われてしまった技術や機器がかなりある． あと 20 年くらい経過するとさすがにもう覚えていられなさそうなので，今のうちに書き留めておくことで何かしら文化的価値が出てくるかもしれない． この記事では私の人生におけるデジタル機器との関わりを振り返ってみようと思う．</p> <p>追記: デジタル機器との関わりだけを書くつもりが，ちょっとした自叙伝のようになってしまった．そのうち追記します．</p> <h2 id="幼児期">幼児期</h2> <h3 id="20002002-46-歳">2000–2002, 4–6 歳</h3> <h4 id="imac-と-kidpix">iMac と KidPix</h4> <p>自分では全然記憶になかったが祖母いわく私は文字や絵を覚えるのが早かったらしい． 4 歳くらいのときに自宅マンションの廊下にある「消化器」という文字を絵に描いていたらしく，大きくなってからもその絵を祖母がよく見せてくれた． 所謂物心がついたのは 4 歳ごろだったが，当時祖父母の家にはブラウン管でできた青くて分厚い iMac がありそれでよく遊んでいた． <a href="https://kidpix.app">KidPix</a> というソフトウェアでデジタルお絵描きをして遊んでいた． ダイナマイトで絵を全て消去するインターフェイスが懐かしい． 上記アプリには見当たらなかったが，動く動物のスタンプのような機能が気に入っていてよくカオスな絵を描いていた記憶がある． 当時の作品があれば載せたかったが，祖父母はすでに他界し祖父母宅も売却されたため何も残っていなかった． 誰に教わるでもなくいつの間にか描いた絵をプリンタと接続して印刷までしていたらしい． そのくらいの年齢の子供でも遊べるくらい直感的なインターフェイスだったことが伺える． その iMac にはすでに web ブラウザやメール機能もあったはずだが，祖父母宅はインターネットをひいておらず結局その iMac ではお絵描きソフトでしか遊ぶことはなかった．</p> <h4 id="ゲーム">ゲーム</h4> <p>私には 7 歳上（2 月生まれで学年は 8 つ上）と 9 歳上の兄がおり，私が小さいときのゲームはもっぱら兄のお下がりであった． 当時はよく<a href="https://www.nintendo.co.jp/n02/dmg/index.html">ゲームボーイ</a>と<a href="https://web.archive.org/web/20151016034539/http://www.jp.playstation.com/psone/">PlayStation</a>で遊んでいた． 記憶にあるうちで遊んだことがあるゲームは以下である．</p> <ul> <li>ゲームボーイ <ul> <li><a href="https://www.nintendo.co.jp/n02/dmg/apajapbj/index.html">ポケットモンスター赤・緑</a> <ul> <li>言わずと知れた初代ポケモンである</li> <li>兄の友達が “裏技” でデータを汚しまくっていた</li> <li>兄たちの世代は小学生ごろにポケモンが大流行し，またゲームボーイカラーが出るくらいの世代であったがポケットモンスター金・銀の開発が遅れ中学校に入る頃には流行が廃れたらしい</li> </ul> </li> <li>他にももっといろんなソフトがあったはずだが記憶なし…</li> </ul> </li> <li>PlayStation <ul> <li>クラッシュ・バンディクー 1, 2 <ul> <li>難易度が大変に高いことで有名</li> <li>大人になってから Switch 版を購入したがやはりクリアできない</li> </ul> </li> <li><a href="https://web.archive.org/web/20140313064741/http://sega.jp/ps2/puyosun/home.shtml">ぷよぷよ SUN</a> <ul> <li>長兄とよく対戦した覚えがある</li> <li>手加減を知らない兄なので全然勝てずつまらなくなってやめた気がする</li> </ul> </li> <li><a href="https://www.cc2.co.jp/tailconcerto/">テイルコンチェルト</a> <ul> <li>操作が難しすぎてクリアできずじまい…</li> <li>マイナーだったのか検索してもあまり出てこない</li> </ul> </li> <li><a href="https://web.archive.org/web/20120426204402/https://www.jp.playstation.com/software/title/scps10008.html">アーク・ザ・ラッド</a> <ul> <li>自分はチュートリアルくらいしかやったことがないが長兄はかなりハマっていたらしい</li> </ul> </li> </ul> </li> </ul> <p>兄たちは私と違い運動が得意で，当時スラムダンクが大流行していたこともあり小学校高学年からバスケットボールを始めたらしい． ちょうどそれくらいで私の物心がつきはじめ兄たちはゲームをあまりしなくなりだしたのだろう．</p> <p>私が 5 歳くらいのときクリスマスプレゼントで<a href="https://www.nintendo.co.jp/n08/index.html">ゲームボーイアドバイス</a>と<a href="https://www.nintendo.co.jp/n08/axvp/index.html">ポケットモンスターサファイア</a>を買ってもらった． ポケットモンスターサファイアは長兄がほとんど勝手に進めてしまったのでストーリーは全然覚えていない． 殿堂入りしてからのレベル上げだけよくやっていた覚えがある． その他当時よく遊んだゲームボーイアドバンスのソフトは以下である．</p> <ul> <li><a href="https://www.nintendo.co.jp/n08/awaj/index.html">ワリオランドアドバンス ヨーキのお宝</a> <ul> <li>近所の友達に借りてよくやった</li> </ul> </li> <li><a href="https://www.nintendo.co.jp/n08/a88j/index.html">マリオ＆ルイージ RPG</a> <ul> <li>ピアノを習っていた時に練習が嫌すぎてバイエルのどこどこをちゃんと終わらせたら買ってあげると言われて買ってもらったはず</li> <li>小学校低学年が遊ぶには少し操作も難易度も高く，全クリしたのは小学 4 年くらいになってからだった</li> </ul> </li> <li><a href="http://metroid.jp/metroid_version1/index.html">メトロイドフュージョン</a> <ul> <li>スマブラでしか知らないとよく言われるサムスが主人公のゲーム</li> <li>SA-X はみんなのトラウマである</li> <li>セクター 6 の SA-X を看破する方法がわからなくて詰まっていた</li> <li>Flash が無効になっていてホームページの “ENTER” ボタンが押せない…</li> </ul> </li> <li><a href="http://metroid.jp/metroid_version2/top.html">メトロイド ゼロミッション</a> <ul> <li>ファミコンでリリースされていた初代メトロイドのリメイク</li> <li>これまた Flash が終わったせいでホームページの詳細は閲覧できない…Flash もまた我々が当時見ていたインターネットを支えた遺産であることを感じさせる</li> </ul> </li> </ul> <p>当時は<a href="https://www.nintendo.co.jp/n08/hardware/syuhen/index.html">通信ケーブル</a>がないと対戦できなかった． あんな小さい機器でどんなプロトコルで通信されていたのか，気になるものである． まだ<a href="https://www.nintendo.co.jp/n08/index.html">当時の任天堂のサイト</a>が残っているとは驚きである．</p> <h2 id="学童期">学童期</h2> <h3 id="20032005-小学-1-年3-年">2003–2005, 小学 1 年–3 年</h3> <h4 id="windows-期">Windows 期</h4> <p>私は今では敬虔な Apple 信者であるが，小学校入学から中学校卒業までかなり長い期間 Windows ユーザであった． 小学校に入る前か入ったあとか忘れてしまったが，ある日 Windows XP のノートパソコンが我が家にやってきた． DELL 製の 8 cm くらい厚みのあるノートパソコンだった気がする． このあたりからインターネットサーフィンを覚え始める． たぶん ADSL とかそんなやつだったと思う． 当時は無線 LAN などなかったし，なんか電話の後ろにたくさん積まれているピカピカ光る機械からたくさんのケーブルを引いていたことだけは覚えている． 当時はウイルス対策ソフトだのメーカが勝手に入れてくるよくわからんアドオンで IE の画面は半分くらいを占めるというのがよく見られる光景であった． 次の図はその極端な例である．</p> <p><img src="https://livedoor.blogimg.jp/itlifehack/imgs/d/7/d7e272b0.jpg" alt="ありし日のIE"/></p> <p>当然タブ機能はない． 当時は Flash 全盛期である． もちろん YouTube もまだない． もすかう，マイアヒ，楽しい国語シリーズ，ッパえもん，絶対にじゃんけんで勝てないサザエさん，などなど，<a href="https://aki418.com/flash/">このサイト</a>で紹介されているものをよくみていた． 当然そんな小学生は当時は少数派であったから，一部の友達同士でよく笑い合ったものである． 今にしてみると小学生には絶対見せていけないようなアンダーグラウンドなものも多数あった． 当時のおもしろ Flash はすぐ成人向けサイトに誘導する広告がひしめいていたが，親が導入したフィルターソフトがたいてい弾いていた． 不真面目な人間だったので，このおもしろ Flash と兄が買っていた漫画（主に ONE PIECE, NARUTO, 世紀末リーダー伝たけし!）と遊戯王カードで漢字を覚えたものである．</p> <h4 id="ゲーム-1">ゲーム</h4> <p>小学 2 年のある日，父が「プレステ 2 買いにいこか」と急に言い出したことを今でも鮮明に覚えている． 誕生日でもなんでもない日だった． 全く記憶にはないが，たぶんかねてからねだりまくっていたのだろう． その時の父の言い分では DVD を再生できる機器を欲していたそうで，子供が静まり DVD も見られるようになるなら一石二鳥だと思ったのだろうか． ともかく突如として <a href="https://web.archive.org/web/20151005230703/http://www.jp.playstation.com/ps2/">PlayStation 2</a> が買い与えられた． 当時地元のカルフール（現，みのおキューズモール）の 2 階の電化製品コーナーで <a href="https://web.archive.org/web/20070622093138/https://www.jp.playstation.com/software/title/slpm74003.html">クラッシュ・バンディクー 4 さくれつ!魔神パワー</a> とともに買ってもらった． 当時よく遊んだゲームは以下である．</p> <ul> <li><a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/サルゲッチュ2">サルゲッチュ 2</a></li> <li><a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/ガチャメカスタジアム_サルバト〜レ">ガチャメカスタジアム サルバト〜レ</a></li> <li><a href="https://www.konami.com/mg/archive/mgs2_sub/japanese/">メタルギアソリッド 2</a></li> </ul> <h3 id="20062008-小学-4-年6-年">2006–2008, 小学 4 年–6 年</h3> <h4 id="ゲーム-2">ゲーム</h4> <p>いよいよニンテンドー DS の登場である． DS 自体は小学校 2 年のときに発売されていてクリスマスプレゼントにねだったが断られた． タッチパネルを搭載した画面に憧れたものである． 主に近所の友達に遊ばせてもらっていた． 自分の DS は小学校 4 年の後半くらいにやっと中古で買ってもらった． この時代と言えばなんといっても ポケットモンスターダイヤモンド・パールである． 我々世代は「四天王　なみのり」の 2 語で 2 時間は語れる． アルセウスが手に入るというガセネタを掴まされ「なぞのばしょ」から抜け出せなくなった子供達が何人いたのだろうか． 自分は幸い近所の古本市場で WiFi サービスを使って修復できた． 家に無線 LAN がある家庭もあまりなかったから，近所の家電量販店やおもちゃ屋にいかなければ WiFi を使った機能はなかなか使えなかった． 当時の家電量販店やおもちゃ屋で下図のマークのついた，でっかいモニターで新発売のソフトの体験版を遊べる装置の近くで友達と集ったものである．</p> <p><img src="https://support.nintendo.com/jp/information/2014/img/pic_0227.png" alt="ニンテンドーWi-Fiコネクションマーク"/></p> <p>同様にゲーム関連で当時を象徴するものといえば，<a href="https://jp.wazap.com">ワザップ！</a>であろう． まだ運営されているとは思わなかった． そしてこの時代の据え置き型ゲームといえば <a href="https://www.nintendo.co.jp/wii/index.html">Wii</a> である． 最も長く遊んだのは<a href="https://www.smashbros.com/wii/jp/">大乱闘スマッシュブラザーズ X</a>である．</p> <p>小学校高学年はほとんど上記の 2 作品の記憶で占められている．</p> <h4 id="謎の-pc-ゲーム">謎の PC ゲーム</h4> <p>当時ハンゲームというこれまた Flash で動作していたゲームサイトをよくやっていた． また，<a href="https://megalodon.jp/ref/2011-0125-1715-26/town.milisn.com/town5/index.cgi">ミリスンタウン</a>というソーシャルゲームのようなものをプレイしていた． 検索したら出てきた驚いたので一応リンクもはってみたが，登録リンクがエラーになって遊べない． 当時はタウンゲームとか呼ばれる派生物がたくさん出ていたが，今どんなワードで検索すればいいのかわからない… 周りはメイプルストーリーとか親のケータイでモバゲーとかやっている者も多かった．</p> <h4 id="親の携帯電話ゲーム">親の携帯電話ゲーム</h4> <p>我が家は au 一家であった． 高校生にならないと携帯電話を買ってもらえないルールだったので自分だけは長いこと買ってもらえず，兄や母の携帯電話でよく遊んでいた． もちろんスマートフォンはまだない． 母の携帯電話の暗証番号を勝手に変えたくせに当の本人がその番号を忘れてしまいめちゃくちゃ叱られた記憶がある． EZWeb という au のガラケー専用のサイトで遊べるアプリがあった． よく遊んだのはザ・脱出という，名前の通り脱出ゲームだった． 驚くことに<a href="https://garusoft.com/game-detail_java.html">公式サイト</a>がまだ残っている． この会社いま一体何をしているんだろう… 当時の携帯電話の乏しい操作性で遊べたなと思う． シリーズが何個かあってストーリーが気になったのだが，今はもう謎に包まれたままである． ファロという登場人物が誰なのかということが徐々に明かされていくはずだったのだが，もう知る術がなくなってしまった．</p> <p>時を同じくして大学に入り始めた兄たちが家に友達を呼んで麻雀を打つようになり，究極麻雀というこれまた携帯電話アプリをよく遊んでいた． 公式サイトはさすがにもう見つからなかったが，<a href="https://www.itmedia.co.jp/mobile/articles/0706/07/news129.html">ネットニュース記事</a>ならあった． 割れ目とか先付けあり・なしとかルールを細かく変えられるのがよかった記憶がある． 今見ても麻雀アプリとしてかなり完成度が高い． 当時10歳のガキが麻雀に興味をもつきっかけになってしまったのだから極めて教育に悪い兄たちである．</p> <h4 id="ニコニコ動画">ニコニコ動画</h4> <p>また当時を語る上で欠かせないのはニコニコ動画である． YouTube ももちろんあったが，当時はおもしろ Flash の続編を見るサイトとかアニメの違法アップロードがされているサイトというイメージで今とは相当印象が違った． YouTuber なる職業が出てくるという想像すらできなかった． 小学校 5 年から 6 年くらいにかけてグルメレース MAD だとかドナルドのうわさだのをいじった動画が大流行した． VOCALOID が出てきたのもこのくらいの時期である． クレジットカードなど作れるはずもないので，コンビニでなけなしの小遣いをはたいて Webmoney カードを買ってニコニコプレミアムを維持していた記憶がある．</p> <h4 id="ブラッディマンデイ">ブラッディ・マンデイ</h4> <p>自分をコンピュータ専攻に誘うひとつのきっかけになったのは<a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/BLOODY_MONDAY">ドラマ ブラッディマンデイ</a>である． この時はじめて「ハッキング」なるものを知り，コンピュータに詳しくなればなんかかっこいいことができると思ったものである． もちろんハッキング自体は不正アクセス禁止法に触れる犯罪行為である．番組の開始時にもそんな注意が出ていた． ともかく高専に進学して電子情報コースを選択するひとつの要因になったことは間違いない．</p> <h2 id="青年期">青年期</h2> <h3 id="20092011-中学校">2009–2011, 中学校</h3> <p>中学校から吹奏楽部に入部し，土日も両方とも一日中練習するような日々が続いたのであまりゲームをしなくなった． 代わりに遊戯王カードはよく遊んだし，ニコニコ動画でボカロ音楽を聞くようになったのもこの時期である． 当時のボカロは一部の物好きが聞く音楽というイメージが強く，本当に仲が良くて好き同士な友達でしか学校で話してはいけない雰囲気があった． 米津玄師がまだハチという名前で顔を明かさず活動していた時期である． ハチ，DECO*27，40mP，164 などを好んで聞いていた． 今や yoasobi とか米津玄師が J-POP を牽引しているのを見て，当時のキッズたちはいま何を思うのだろう． そのような雰囲気もあり学校ではボカロ趣味などは隠していたので，外向きの趣味としてロックにハマった時期もあった． 厨二病真っ盛りであるので，伝説的なエピソードがかっこいいという理由でジミ・ヘンドリックスを聞いていたし見た目と設定が面白いとかいう理由で聖飢魔 II をよく聞いていた． ギターを買ったのもこのあたりである． ニコニコ動画では <a href="https://www.nicovideo.jp/user/8039834">H.J. Freaks</a> もよく見ていた． <a href="https://www.interspeech2022.org">Interspeech 2022</a> でまさかくるとはこの時想像できるはずもない… この時Interspeechに出していなかったことをとても後悔した．</p> <p>数学と理科と技術が得意で，前述のブラッディマンデイの影響もあり，プログラミングも学べるという高専への進学を決めた． 本当はプログラミングするために良い PC をくれだとかボカロやりたいから DTM ソフトを買ってくれだとか言っていた． 小学校高学年くらいまではゲーム機や遊びに不自由しなかったが，この時期は父の自営業がうまくいかず家に全然お金がなかったためそんなことはできなかった． 住んでいたマンションを売りに出し祖父母の家に居候し始めた． 幼児期に遊んでいた iMac は動かなくなっていた．</p> <p>また，当時は LINE はまだなく，友人たちとの連絡手段といえばもっぱら Yahoo!メールか Skype であった． Skype がサービス終了したことは記憶に新しいが，ひとつの青春の記録が失われてしまった． 当時は兄の影響で交響詩篇エウレカセブンをみていたのでアイコンをニルヴァーシュにしていたような記憶がある．</p> <h3 id="20122017-高専">2012–2017, 高専</h3> <p>高専はほとんどが機械工学科とか電気工学科とか入学前に専攻を決め，卒業するまでの 5 年間クラス替えもなく過ごすらしい． 私の過ごした<a href="https://www.ct.omu.ac.jp/">大阪公立大学工業高等専門学校</a>（当時は大阪府立大学工業高等専門学校）では 1 年・2 年は総合工学システム学科というクラスで，専門科目を学ばず共通の教育を受け，クラス替えもあったし，3 年生から専門のコースに分かれるという制度であった． 当時は</p> <ul> <li>機械システムコース (通称 M コース)</li> <li>メカトロニクスコース (通称 H コース)</li> <li>電子情報コース (通称 E コース)</li> <li>環境物質化学コース (通称 A コース)</li> <li>都市環境コース (通称 C コース)</li> </ul> <p>の 5 コースで，私は E コースを選択した． ようやくプログラミングができるぞと勉強に励んだ．</p> <h4 id="スマホの登場">スマホの登場</h4> <p>高校生まで携帯電話を買ってもらえないという家のルールで，この時ようやく初めての携帯電話を手にいれる． 当時スマートフォンはまだ出始めで贅沢品という印象だった． Softbank の iPhone 4S 2 年間実質無料キャンペーンにより日本における iPhone ユーザが爆発的に増え出したのもこの頃である． いち早く iPhone を手に入れパズドラを遊んでいた友人たちが羨ましかった． LINE が広まり始めた時期であったがガラケーのままだったので，ガラケーで無理やり LINE を使っていた． 2 年の後半に，無理を言ってようやく iPhone 5 を買ってもらえた． この時期に最初に選んだ OS を親だと思ってついていっている大人たちが今も大勢いるはずである．</p> <h4 id="初めてのプログラミング">初めてのプログラミング</h4> <p>ここまでプログラミングのプの字もなかったが，ようやくプログラミングを始める． 高専 2 年（普通の高校なら 2 年生）のときに C 言語を学び始めた． 世間の大多数，また現在教えている都立大の学部 2 年生たちと比べてみても，プログラミングを始めたのはそこそこ早い方である． 自分にとって大きな挫折であった． まずコマンドプロンプトが全然わからない． 当時は VSCode などあろうはずもなく，サクラエディタとかいう謎のソフトで C 言語を書いていた． 何が起きているのか全然さっぱりわからなかった． <code class="language-plaintext highlighter-rouge">#include &lt;stdio.h&gt;</code> を <code class="language-plaintext highlighter-rouge">#include &lt;studio.h&gt;</code> だと思い込んでいた． 当然「そんなライブラリはない」というエラーから進めなかった． エラー文が何やら英語で怖く，深く調べもしなかった． とにかくわからないことだらけで不安だったが，このままでは単位を落としてしまうという恐怖からなんとかがんばった． 当時同じクラスで E コース志望だった学生も多数諦めていた． ともかく C 言語がトラウマになりプログラミングに興味があったがもうやりたくないと言って他のコースに進んだ学生もたくさんいた． 自分もこのまま E コースに進んで大丈夫かという不安もあったが，楽観的に進んでしまった．</p> <h4 id="twitter-最盛期">Twitter 最盛期</h4> <p>当時の Twitter にいた高専生は独特のオーラを放っていて，かずー氏とかばんくしなどが有名である． 「ふぁぼ爆」とか「規制垢」とか今は死語となっている概念も知った． 夜狐八重奏とか ShootingStar とか The World とか各種クライアントソフトが鎬を削っていた． この時期に自分で Ruby on Rails かなにかで Twitter API を叩くコードを書いたりもした． 今では X だとかいうクソダサい名前のクソ既得権益バカビジネスに変わり果ててしまった． 人間はなかなか過去への執着を捨てきれない．</p> <h4 id="学生と生徒">「学生」と「生徒」</h4> <p>高専に入学して 1 ヶ月後くらいの宿泊研修で「君たちは高等教育機関に通う者であるから生徒でなく学生である」という話を聞いた． 他の高専出身者に聞いてみると，どうやら全国ほとんどの高専で同じような教育が行われているようである． 私の同級生たちはこれを揶揄して「洗脳」だとか呼んでいた． なお学校教育法によると，いわゆる「学校」で学ぶ者の呼称は大まかに</p> <ul> <li>小学校: 児童</li> <li>中学校・高等学校: 生徒</li> <li>高等専門学校・専門学校・大学・大学院: 学生</li> </ul> <p>と区別されるそうである． ではなぜこのような区別があるのだろうか． 前述の高専でのオリエンテーションでは，「生徒」とは受動的に「教えてもらう」者，「学生」は自ら能動的に「学ぶ」者であるというような内容だった記憶がある． <code class="language-plaintext highlighter-rouge">生徒 学生 違い</code> で Google 検索してみると同じようなことを書いた論文や記事が多数検出される． しかし大学ではこのあたりの教育が行き届いていないように思われる． 少なくとも私の周りの大学生・大学卒は，教職課程を履修した者など一部を除いて大部分は大学生・大学院生も「生徒」と呼んでいる． これは高校生を「児童」と呼ぶくらいおかしなことである． 一方で大学教員は大学生を「生徒」と呼ぶ者は少なく感じる． どこでそう学んだのか，あるいは教育する立場がそうさせたのかはわからないが呼び分けるからには，彼らの中にも明確に区別が存在するはずである．</p> <h4 id="pic-マイコンプログラミング">PIC マイコンプログラミング</h4> <p>E コース進学後もなかなか大変で，難しかった授業のひとつに PIC マイコンでプログラミングするという実験があった． インターネットを遮断された Windows 2000 の PC しか使用することはできず，アセンブリを書かねばならなかった． アセンブリでは C 言語のように変数すらも簡単には扱えず，かなり苦労した． おかげでブレッドボードや C 言語のありがたみを知ることができた．</p> <h4 id="linux-原理主義者-h-先生">Linux 原理主義者 H 先生</h4> <p>3 年のコースに分かれてからは卒業する 5 年までクラス替えはない． 担任になった H 先生はお堅い Linux 原理主義者で，エクセルを教える授業を担当されていたにもかかわらずエクセルが大嫌いとこぼしていた． 演習室の PC はさすがに Windows であったが H 先生の授業の時だけは仮想化ソフトで動かす CentOS 以外の使用を許されなかった． このとき Emacs の洗礼にも触れた． 私は小指の筋肉が弱かったため Emacs の Ctrl を多用する操作は慣れず定着しなかった． 代わりに同級生の I から vim の手解きをうけ， vimmer の闇を見る． この頃になけなしのお年玉で親に iMac を新調してもらい， Microsoft へ見切りをつけ敬虔な Apple 信者へ返り咲いた． Apple 製品はやはり，高いが完成度がとてもよい． プログラミングを始めるにも Unix コマンドがほとんど動くのでぴったりである． 競技プログラミングという世界もこの頃に知った． 自分は直接の面識はないが，競技プログラミング界で有名な kyuridenamida 氏は同じ高専・同じコースで 2 個上の先輩にあたる．</p> <h4 id="鬼教官-m-先生">鬼教官 M 先生</h4> <p>話は少し変わり，私が高専に在学していたとき，とても怖いことで有名な M 先生がいた． M 先生は電磁気学を担当されており，講義が難しいため私が所属していた E コース 3 年次の関門として有名であった（なおその年はクラス 30 人中 6 人が留年し，進級できた学生も多数単位を落としていた）． M 先生は気性が荒いことでも有名で，演習で要領の得ない説明をすると「だからお前はダメなんや」，居眠りしようものなら机を蹴り飛ばす，といった現代ではおよそ考えられない厳しい教員であった． いま私が学生にそのような行動をすればアカハラ・パワハラですぐ首が飛ぶことだろう． もちろん私が学生だった時もすでに教員によるハラスメント問題は取り沙汰されていたが，理由なく怒鳴り散らすような人でもなかったためみんな「怒られるのは自分が悪い」と納得していたように思う． 私はしょっちゅう居眠りをする怠惰な学生であったため実際に何度か机を蹴られたこともある． その M 先生が電磁気学の最後の講義で珍しく雑談をしていた． いわく，「授業は『わかりやすい』方がよしとされているが，『わかりやすく』すればするほど学生はどんどん受動的になる」というものである． 調べてみてもすぐに出てこなかったのだが，どこかの有名な大学でそういう検証もなされたそうである． また，M 先生は大学時代に「大学の講義とはこんなにもわからないものなのか」と衝撃を受けたそうである． わからないからと言って諦めては留年してしまうので，図書館で本を読んだり先輩に聞いたりしてなんとかくらいついたらしい． 「今思えば大学の講義とは一度あんな風に突き放しておいて，ついていける者だけ育てるという方針だった．当時はそれでよかった．」とも仰っていた． 教員になって M 先生の話が幾度となく思い出される． 今後少子化でますます「わかりやすい」「落ちこぼれさせない」教育が求められるであろうが，なかなか良いバランスが見つからない，どうしたものか… 「わかりやすく」を求められる一方で，学生には自ら積極的に学ぶ姿勢をもってほしいものである． だからと言ってあえてわかりにくくすればアンケートで悪口を書かれるだけだが… 高専の長所かつ短所のひとつは高校一年生にあたる年齢から，博士号をもっていて M 先生のように原理主義的な教員の教育を受けられるという点かと思う． 大学院という進路を具体的なイメージをもって想像できるようになるが，合わない人にはとことんつらい場所であったであろう．</p> <h4 id="大学編入の決意">大学編入の決意</h4> <p>高専は人手不足であったためよく大学院生の非常勤講師がいた． その中の一人が<a href="https://researchmap.jp/miyazaki-ryoichi">宮崎 亮一 先生</a>である． 私が 2 年のとき「リンク機構」という機械科が学ぶ機構学の基礎のような実験を担当されていた． 宮崎先生は同じ高専の OB で，当時 NAIST の博士後期課程学生をしながら母校で非常勤講師をされていた． 革ジャンに少し抜けた喋り方が特徴的で学生の間で非常に人気であった． その時に宮崎先生が所属されていた NAIST の存在と音情報処理という分野があることを知った． 博士後期課程を飛び級で修了する予定で高専教員への内定もあるというお話を聞き，めちゃくちゃかっこいいなと思った． 宮崎先生が当時所属されていた研究室のホームページに載っていた学生を何人か Twitter で検索してフォローした． 例えば <a href="https://sites.google.com/site/shinnosuketakamichi/home">高道 慎之介 先生</a> や <a href="http://d-kitamura.net">北村 大地 先生</a> （両先生とも当時は大学院生）である． Twitter を通して高専生とは異なる大学院生の独特な雰囲気を知った．</p> <p>音情報処理という学問があることを初めて知り，吹奏楽部に入っていたため音に関することをもっと学びたいと思い始めた． とはいえ当時は音情報処理が具体的に何なのかまでは深く調べもせずに漠然と過ごしていた． 高専 3 年の進路希望でこれまた漠然と大学への編入を志始める． 高専 1, 2 年の段階では厨二病の残り香で親と仲が悪い設定であったため 5 年で卒業して就職するとか最初は言っていたが，ある日親の催眠を思い出して改心しもっと学ぼうと決意した． 当時はとりあえず大学に行っておけばなんでもあるだろうと思っていた． 高専を受験する時に見たパンフレットに下のような図を見て，「この一番上まで行きたいな？」という思いがあったので博士後期課程まで進学することは意識していた． <img src="https://www.ct.omu.ac.jp/assets/IMG_0298.GIF.gif" alt="高専のパンフレットに書いてあった図"/></p> <h4 id="大学編入試験">大学編入試験</h4> <p>他の家庭はわからないが，豊中市民は大阪大学に行くことが親孝行である，とよく親に催眠をかけられた． 車で中国自動車道を通り，大阪大学豊中キャンパスの前を通るときたまに言われたものである． そんなわけで大阪大学への編入を志すことにした． 大阪大学のホームページを色々見て，編入できる学部を探す． 色々調べた結果<a href="https://sys.es.osaka-u.ac.jp">基礎工学部 システム科学科 知能システム学コース</a>への受験を決意する． 音の研究ができるコースということで， <a href="https://www.kyoto-su.ac.jp/faculty/professors/ise/ise_kawamura_arata.html">川村 新 先生</a>（当時阪大准教授，現在京都産業大学教授）がいる研究室に行きたいと思っていた．</p> <p>3 年までは部活ばかりしていて成績が中の上くらいであまり良い方ではなかった． そのため，当時の担任の先生に相談すると「キミでは厳しいだろうね」と言われた． 逆に燃え上がりめちゃくちゃ勉強に励んだ． おかげで 4 年の時はトップクラスの成績になった． 5 年の 7 月に編入試験を受けた． 部活は 5 年の 9 月に引退だったため，部活もしながら合間を縫ってめちゃくちゃ勉強した． 筆記試験の手応えはあまりなかったが，面接で音の研究したいという思いをぶつけたからなのか，よくわからないが辛くも合格できた． ただし，後述の通り結局は違う研究室に行くことになった．</p> <h4 id="高専の卒研">高専の卒研</h4> <p>この頃には漠然と音にかかわる研究をしたいと思い始めていたので，<a href="https://researchmap.jp/read0187634">梅本 敏孝 先生</a>の研究室への配属を希望していた． なお，梅本先生は宮崎先生が高専時代の指導教員でもあったし，梅本先生いわく同じ研究室から宮崎先生以外にも NAIST 鹿野研に何人か行ったらしい． 今にして思えば専攻科を出て NAIST もとても有望な選択肢だったが，当時はそんな考えはなかった． ところが私が 5 年になる頃には梅本先生は教務担当副校長で忙しすぎて卒研を見る余裕がないということで別の研究室に移ることになった． <a href="https://researchmap.jp/read0064507">早川 潔 先生</a> の研究室で FPGA を使って雑音除去アルゴリズムを実装するということになった． 早川先生は大変厳しく，また当時の私が編入試験後の燃え尽き症候群で怠惰であったため研究はあまり進まなかった． なお，上記の 3 年担任だった H 先生とは別人物である． そもそも高専 5 年など大学 2 年にあたる年齢で，専門科目の基礎くらいしかわからない状態で “研究” らしいことをするなど無茶な年齢である． この時身につけた LaTeX と vim の知識は今でも大きく役に立っている．</p> <h5 id="整理されていない余談">整理されていない余談</h5> <p>私の代で E コースに進学した学生は 30 人であった． 4 年に進学するときは 6 人が留年し 24 人になり，5 年に進学するときはもっと減ったはずである． 中学校のときそこそこ勉強ができたために親の勧めで入学してみたはいいが，技術にからっきし興味がないので勉強が身に付かず留年を繰り返すという者は多数いた． 他の学科も合わせて 5 年でストレート卒業できたのは 160 人中 120 人程度だった記憶がある． ロボットコンテストに出るための部活に所属していて CAD も使えて旋盤で鉄も削れてロボットを動かす C プログラムまで書けるスーパーマンのような学生が，英語の単位だけを落とし続けて留年したりもしていた． 留年率が 20% を超えるのは高専では珍しくないらしい． とにかく普通の高校からするととんでもないくらいの留年率である． この感覚からすると大学の方がずいぶんやさしく見える．</p> <p>私が把握している限り，自分たちの代で博士後期課程までいった高専の同期は 6 人であり，私を含めそのうち 4 人は高専または大学で教員をしている． 他の年代と比べても多い方かと思われる． そのうちまた会ってみたい．</p> <h3 id="20182019-大阪大学">2018–2019, 大阪大学</h3> <p>To be continued…</p> <h3 id="20202023-東京都立大学大学院">2020–2023, 東京都立大学大学院</h3> <p>To be continued…</p> <h3 id="2024現在-東京都立大学-助教">2024–現在, 東京都立大学 助教</h3> <ul> <li><a href="https://taishi.org/ja-jp/blog/2025/kaibunsyo/">都立大助教体験記 (1 年目)</a> に書いた通り</li> </ul>]]></content><author><name></name></author><category term="column"/><category term="tweet"/><category term="history"/><summary type="html"><![CDATA[my history of computer and me]]></summary></entry><entry><title type="html">한국어 일기 도전</title><link href="https://taishi.org/ja-jp/blog/2025/korean-blog-challenge/" rel="alternate" type="text/html" title="한국어 일기 도전"/><published>2025-05-02T00:00:00+00:00</published><updated>2025-05-02T00:00:00+00:00</updated><id>https://taishi.org/blog/2025/korean-blog-challenge</id><content type="html" xml:base="https://taishi.org/blog/2025/korean-blog-challenge/"><![CDATA[<p><strong>주의</strong>: 이 블로그는 일본에 사는 보통 일본인이 쓰는 아무 의미도 없는 일기입니다. 모르는 단어나 표현을 알아보려고 Papago나 ChatGPT 쓸 부분도 있지만 대부분 제가 직접 썼기때문에 문법적으로 이상한 것들이 있을 수도 있습니다.</p> <p>한국어 독학으로 공부하기 4년 되었다. 이제 혼자 한국 여행 가도 대화하기에 큰 문제는 없지만 읽기랑 쓰기에는 어직도 불안하다. 올해 TOPIK이나 한국어 능력시험 같은 것을 받고 진짜 실력을 알아봐볼까…?</p> <p>이 블로그도 일본어로 대충 만들고 Papago와 ChatGTP 쓰고 번역 시키려고 했는데 한일 번역은 어직 이상한 결과가 많다. 예를 들어 일본어로 探す (사가수) 는 find로 쓸 수 있고 explore로 쓸 수도 있는데 번역하면 문맥 상관없이 둘 다 ‘찾다’로 나옴. <sup id="fnref:1"><a href="#fn:1" class="footnote" rel="footnote" role="doc-noteref">1</a></sup> 반대로는 ‘일본인 친구를 사귀고 싶다‘는 문을 Papago로 번역하면 日本人友達を付き合いたいです로 나온데 일본에는 ‘사귀다’라는 말이 보통 연인 사이가 되기에만 쓰는 말이라 좀 이상하다.</p> <p>내 생각에는 대부분 일본인들한테 한국어 공부하기가 영어보다 훨씬 더 쉬웠고 중학교 때부터 10년 넘게 배웠던 영어보다 더 편한 것 같아. 하지만 아까 예문처럼 가끔씩 작은 차이가 당황스럽고 어렵다. 예를 들어 있다/없다는 일본어로 ある/ない랑 いる/いない 구별이 있고 반대로 일본어로 형/오빠 누나/언니 구별이 없다. 아마 이런 언어 차이에서 문화 차이도 형성 되는 것 같아. 일본에서는 보통 연상인 친한 사람을 형/오빠/누나/언니 붙어 부르지 않고 그냥 이름이랑 さん (산) 붙어 부르다. 그래서 그런지 한국 드라마 일본어 자막에도 ‘재중오빠‘는 ジェジュンさん이라고 나옴.</p> <p>ChatGPT 쓰고 일본어와 한국어의 문법적인 차이를 요약 시켜봤다. <a href="https://chatgpt.com/share/6813af31-9b34-8003-ba56-5f26ed3d1d9b">결과</a> 보니 대충 맞지만 세세히 틀린 부분도 있어서 아직도 최신 AI라도 어려운 게 많은 것 같다. 내가 일본어와 영어로 쓸 때도 그렇지만 다양한 언어 섞여 쓰면 어느 순간부터 붕괴되어 출력들이 언어를 섞여 버리는 것이 조금 웃긴다. 근데 언어힉적으로 공통되는 부분들이 이렇게 많은데 그런 것들을 명시적으로 학습시켜야 하는 것이겠지만 SSL로는 상세한 부분을 조정하는 것이 어려운 걸까…?</p> <p><strong>여담</strong>: ChatGPT와 Apple intelligence 쓰고 이 문장을 교정 시켜 봤지만 이렇게까지 열심히 썼는데 다 존댓말로 쓰니까 그만뒀어… 물론 존댓말 쓰지 말라고 하면 되겠지만 귀찮고… 내가 아는 한 일본어와 한국어의 존댓말과 반말을 바꾸는 버튼이 있는 것은 Papago 뿐이다 😮‍💨</p> <div class="footnotes" role="doc-endnotes"> <ol> <li id="fn:1"> <p>나의 <a href="https://taishi.org/ja-jp/blog/2025/kaibunsyo/">일본어 블로그</a>를 한국어로 번역해보니 ‘반지찾기’가 조금 이상해서 알게되었다 <a href="#fnref:1" class="reversefootnote" role="doc-backlink">&#8617;</a></p> </li> </ol> </div>]]></content><author><name></name></author><category term="column"/><category term="diary"/><summary type="html"><![CDATA[My first Korean blog post]]></summary></entry><entry><title type="html">都立大助教体験記 (1 年目)</title><link href="https://taishi.org/ja-jp/blog/2025/kaibunsyo/" rel="alternate" type="text/html" title="都立大助教体験記 (1 年目)"/><published>2025-04-01T00:00:00+00:00</published><updated>2025-04-01T00:00:00+00:00</updated><id>https://taishi.org/blog/2025/kaibunsyo</id><content type="html" xml:base="https://taishi.org/blog/2025/kaibunsyo/"><![CDATA[<h2 id="はじめに">はじめに</h2> <p>この文章の目的は，「公立大学の教員がどのような仕事をしているか」という情報を共有することです． なお，本文章は以下の記事に大いにインスパイアされています．</p> <ol> <li><a href="https://medium.com/@unilight/助教0年目の振り返り-a6bc23dd6253">助教 1 年目の振り返り - Wen-Chin Huang - Medium</a></li> <li><a href="https://canary-lupin-0bc.notion.site/1-1c4303ae442a807ca59ed2f97ee20bb9">とある国立大学の講師 1 年目体験記</a></li> </ol> <h3 id="本記事のまとめ">本記事のまとめ</h3> <ul> <li><strong>今年度はなんかもう全然ダメでした</strong></li> <li><strong>アカデミアはいいぞ！！</strong></li> </ul> <h2 id="今年度のイベント">今年度のイベント</h2> <p>大学教員の一般的な仕事内容に関しては冒頭の文献が極めて網羅的かつ具体的に書かれているので，ここでは私個人が今年度どんな風に生きたかを時系列順にたどってみようと思います． 私が所属する大学では国立大学によく見られる小講座制ではなく <strong>大講座制</strong> で教授 1 人 or 准教授 1 人 or 教授 1 人+助教 1 人 の構成です． 2024 年度は教授 1 名・助教 1 名に対して学生は合計 15 名程度という構成で，そこまで規模は大きくありません． 元都立大で X でも有名な小町先生はもっと多くの学生を 1 人で抱えていたらしいです． そのうち私がメインで面倒を見ていた（公式には助教は学生の研究指導を行う資格はないため，学内の用語は「研究指導補助」）学生は 5 名 (M2 1 人, M1 3 人, B4 1 人) でした． 以下では時系列順に私の生活を振り返っていこうと思います． どこまで公開していいのか非常に迷いましたが，<a href="https://komachi.hatenablog.com">小町先生のブログ</a>で公開されている程度にしています．</p> <h3 id="2024-年-4-月">2024 年 4 月</h3> <h4 id="教育">教育</h4> <ul> <li>プログラミング基礎演習 II <ul> <li>大学教員として初めての授業</li> <li>2 年生に C++ の基本文法を教える授業</li> <li>「これくらいとっくに知っている」という学生から「ディスプレイの付け方がわからない」という学生までおり教育の難しさを感じた</li> </ul> </li> </ul> <h4 id="研究">研究</h4> <ul> <li>学生の IWAENC 原稿チェック</li> <li>ICASSP 2024 at Seoul, South Korea <ul> <li>韓国語を喋れるようになってから現地の方との交流が楽しい</li> <li>参加中に頑張って学内の研究費に応募 <ul> <li>他の大学の先生方の話を聞く限り都立大は学内でもらえる研究費が多い方らしい</li> </ul> </li> <li>韓国の西江大学校 (Sogang University) に訪問し講演 <ul> <li>Prof. Hyung-Min Park の研究室にお邪魔した</li> <li>秘書さんが日本語ペラペラでびっくりした</li> <li>かなり分野が近いこともあり話が盛り上がった</li> </ul> </li> </ul> </li> </ul> <h4 id="私生活">私生活</h4> <ul> <li>私の両親と彼女で食事</li> <li>友達と韓国観光</li> <li>雑多な手続き <ul> <li>国民健康保険手続き</li> <li>年金手続き <ul> <li>口座振替は早めに解除しないと 10 万円くらい取り上げられる</li> </ul> </li> </ul> </li> <li>小川の魚 <ul> <li>渡米前の升山・引越し前の山岡さんと飲む</li> </ul> </li> <li>引越し <ul> <li>同棲に向けて立川から日野へ引っ越し</li> </ul> </li> <li>兄の引越し手伝い <ul> <li>兄は異動が多い会社で 2-3 年に 1 回引越すので安く引越すことに必死なためかいつも変な業者を使っている <ul> <li>搬入を対応していた人は声が高くトム・ブラウン布川くらい髪が長くタンクトップ１枚</li> <li>梱包の仕方はかなり雑で穴の空いた毛布でくるむだけ</li> <li>ちなみに国立市から杉並区への引越しで総額 2 万円くらいだったらしい</li> </ul> </li> </ul> </li> </ul> <h3 id="2024-年-5-月">2024 年 5 月</h3> <h4 id="教育-1">教育</h4> <ul> <li>研究室勉強会 <ul> <li>git ハンズオン</li> <li>信号処理基礎</li> </ul> </li> <li>法定停電対応 <ul> <li>サーバをすべて安全にシャットダウンしたうえで部屋のすべてのコンセントを抜かねばならずけっこう大変</li> </ul> </li> <li>プログラミング基礎演習 II <ul> <li>リーダブルコードをお勧めした</li> <li>前期で担当する授業はこれだけだった</li> <li>1 年目ということもあり 15 回中 5 回だけの分担にしてくださった</li> <li>pandoc と minted の連携に手間取り資料作成が若干難航したが次からは楽できるはず</li> </ul> </li> </ul> <h4 id="研究-1">研究</h4> <ul> <li>研究活動スタート支援 申請</li> <li>AIST 坂東さん招待講演</li> </ul> <h4 id="雑務">雑務</h4> <ul> <li>全体ゼミのたびに研究室内のネットワークがかなりの頻度で落ちるため原因調査 <ul> <li>ルータを変えてみてはということになり探す</li> <li>同じ学科の助教である柴田先生から Buffalo は 3 年でダメになる・ネットワーク機器は YAMAHA こそ至高という神託を授かる</li> </ul> </li> </ul> <h4 id="私生活-1">私生活</h4> <ul> <li>博論製本 <ul> <li>1 冊 1 万円くらいかつ納品まで 1 ヶ月くらいかかるので前もって準備すべきだった</li> </ul> </li> <li>引越し <ul> <li>立川市から日野市への近距離だったので引越し屋を使わずに頑張ると決意</li> <li>スーツケースに荷物を入れて 4 往復くらいした</li> <li>ベッドや椅子など大きめのものはヤマトホームコンビニエンスというヤマト運輸系列の家電運搬サービスで 2 万円くらいで運んだ</li> <li>冷蔵庫と洗濯機は彼女が持ち込んでくれたので自分の分は処分した</li> </ul> </li> <li>同棲開始</li> <li>両家顔合わせ <ul> <li>生中 1 杯 1200 円くらいする高めのレストラン</li> <li>たぶんつつがなく終わった</li> </ul> </li> <li>多摩動物公園 <ul> <li>ターキンという動物がかっこいい</li> </ul> </li> <li>東大五月祭 <ul> <li>音源分離の展示あるらしいという噂を見たので突撃した</li> <li>若さの風を感じた</li> </ul> </li> <li>豊田ビアフェス</li> <li>農工大矢田部研飲み会 <ul> <li>研究室がおしゃれすぎて感銘を受けた</li> </ul> </li> <li>自炊 <ul> <li>サラダチキンづくりと人間のエサ（主にご飯の上にキムチと納豆と温泉卵をのせたもの，おしゃれな言い方をすればビビンバ．楽でおいしい）にハマる</li> </ul> </li> <li>誕生日 <ul> <li>28 歳になった</li> </ul> </li> </ul> <h3 id="2024-年-6-月">2024 年 6 月</h3> <h4 id="教育-2">教育</h4> <ul> <li>研究室内ゼミ</li> <li>高尾山ハイキング <ul> <li>小野先生がかねてから実現したいと仰っていた初の研究室屋外イベント</li> <li>山頂付近のビアガーデンで良い酒を飲んだ</li> </ul> </li> <li>都立大情報科学科 3 年生歓迎会 <ul> <li>松田先生が企画され大いに盛り上がっていた</li> </ul> </li> </ul> <h4 id="研究-2">研究</h4> <ul> <li>EUSIPCO 論文査読対応 <ul> <li>D3 の時に面倒をみていた元学生の仕事</li> <li>だいたい好意的な反応で通りそうだったのでよかった</li> </ul> </li> <li>査読 <ul> <li>あまり深く考えずに引き受けたものの結構分野が違っていて苦労した</li> <li>査読は安請け合いせずに分野とアブストをしっかり読んだうえで断れる時は断ろうと心に誓う</li> </ul> </li> <li>学内の科研費セミナー参加 <ul> <li>審査員には「できるだけ考えさせない・内容を見て審査結果を判断することだけに集中してもらう」</li> <li>「学術的問い」に注意 <ul> <li>＊＊の仕組みを解明する（そもそも問いではない）</li> <li>＊＊についての実証研究を行う（どうするのか？）</li> <li>「学術的」とは：直接的に研究を通じて答えを出すことが可能なもの</li> </ul> </li> </ul> </li> <li>音学シンポジウム参加 <ul> <li>今まで学会で会った先生方から「先生」と呼ばれるようになりちょっと嬉しい</li> <li>須藤先生招待講演 <ul> <li>同時通訳のこれまで・これから: 表層だけを伝えればよかった → コミュニケーションは伝えてなんぼ・思想を伝えなくてはならない</li> </ul> </li> </ul> </li> <li>学科長面談 <ul> <li>今年度の目標を決めた</li> </ul> </li> </ul> <h4 id="私生活-2">私生活</h4> <ul> <li>韓国ドラマ <ul> <li>킹더랜드 (キング・ザ・ランド) <ul> <li>ユナさんの演技を楽しむためのドラマ</li> </ul> </li> </ul> </li> <li>Robin さんランチ <ul> <li>非常勤講師として都立大の講義を分担で担当されていたらしい</li> <li>Google に移られることを聞いて衝撃を受ける</li> </ul> </li> <li>町田リス園 <ul> <li>大量のリスと戯れる</li> </ul> </li> </ul> <h3 id="2024-年-7-月">2024 年 7 月</h3> <h4 id="教育-3">教育</h4> <ul> <li>研究室内ゼミ <ul> <li>4 年生のテーマの方向がかたまり出して段々ゼミの時間が伸びがちになる</li> <li>それとともに別グループの研究内容についていけなくなりだす</li> </ul> </li> </ul> <h4 id="研究-3">研究</h4> <ul> <li>BOOST <ul> <li>「出せたらかっこよくない？」というノリと勢いで偉い人とオンラインミーティングまでした</li> <li>にもかかわらず都立大の規定でそもそも応募すらできないことが判明し落胆</li> <li>規定を前もって確認すべきだったがやる気が出てきていただけに落胆</li> </ul> </li> <li>共同研究先とのミーティング <ul> <li>学生のときに比べて使える時間が少なすぎるがゆえに少なすぎる進捗を報告せざるを得ないことがものすごく心苦しい</li> </ul> </li> <li>EUSIPCO 航空券・ホテル探し <ul> <li>意外と頭を悩ませて面倒なのが国際会議出張のもろもろ</li> </ul> </li> <li>産総研見学 <ul> <li>未来館に初めて訪問</li> <li>面白くかつ教育によい展示が多くて感動</li> </ul> </li> <li>Oldenburg 滞在 <ul> <li>D3 の時の終わり頃に小野先生がドイツの Carl von Ossietzky Universität Oldenburg の Simon Doclo 先生との共同研究プロジェクトに応募し採択されていた</li> <li>日本側からは私と山岡さん（元先輩・現東大助教）がドイツに滞在する予定になっていた</li> <li>具体的な滞在時期や誰が来るかという調整が始まる</li> <li>出張期間が 10 日を超えると宿泊費が減らされる・予算がそもそもかなり限られているなどの制約下でホテルや航空券を探すのがなかなか大変</li> </ul> </li> <li>CREST シンポジウム対応 <ul> <li>名古屋大学の戸田先生が代表で小野先生・NTT CS 研の亀岡さんとの共同研究プロジェクト</li> <li>私が M1 後半の時から知っていたがちゃんと話したことはなかった Prof. Huang Wen-Ching とも仲良くなる</li> <li>Raspberry Pi で動作するリアルタイム音源分離システムの調整に手間取る</li> </ul> </li> <li>研究活動スタート支援採択 😊</li> </ul> <h4 id="私生活-3">私生活</h4> <ul> <li>オンライン英会話 <ul> <li>友達も利用しているという理由で Cambly というサービスに登録</li> <li>頑張ってみたがやはり英語はつらい</li> </ul> </li> <li>水戸観光 <ul> <li>タイミング悪く定食屋の納豆定食が売り切れてしまい悲しい</li> </ul> </li> <li>新宿御苑</li> <li>昭和記念公園 <ul> <li>花火大会</li> </ul> </li> <li>映画 <ul> <li>スラムダンク</li> <li>ディア・ファミリー</li> <li>ルックバック</li> </ul> </li> </ul> <h3 id="2024-年-8-月">2024 年 8 月</h3> <h4 id="教育-4">教育</h4> <ul> <li>研究室内ゼミ <ul> <li>夏休みに入り前期は終了</li> </ul> </li> <li>学科会議 <ul> <li>学科の再編に伴い演習科目や実験科目をどうするかの議論が交わされた</li> </ul> </li> <li>APSIPA 学生原稿添削 <ul> <li>最近の学生は Overleaf でしか LaTeX ファイルをコンパイルできなくなっておりまずさを感じる</li> </ul> </li> <li>ASJ 学生 発表練習</li> <li>大学院入試 監督員 <ul> <li>3 時間くらいほとんどずっと立ちっぱなしで体力的に少し大変</li> <li>手当は <strong>1 日 3000 円</strong> （規則で公開されている）</li> </ul> </li> <li>研究室見学 手伝い <ul> <li>B3 向けの説明会</li> <li>小野先生がメインでご対応</li> <li>タイトルが「小野・中嶋研 説明会」になっていてちょっと嬉しい</li> </ul> </li> <li>大学説明会 対応 <ul> <li>Raspberry Pi のリアルタイム音源分離システムを展示</li> <li>ラズパイの出力をオーディオインターフェイスに入れラズパイのマイクとは別に説明用のマイクを追加する構成を初めて試す <ul> <li>音源分離をオンにしていると説明する人の音声が分離されて聞こえづらくなるため</li> </ul> </li> <li>高校生の反応が純粋で刺激になった</li> </ul> </li> </ul> <h4 id="研究-4">研究</h4> <ul> <li>研究活動スタート支援 交付手続き</li> <li>EUSIPCO at Lyon 🇫🇷 <ul> <li>発表スライド準備 <ul> <li>6 月に査読対応していたものが採択され私が代理発表</li> <li>back-projection の気持ちを絵で伝えるのがなかなか難しい</li> </ul> </li> <li>発表 <ul> <li>牧野先生から「いつものキレがなかった」と評される</li> <li>スライドの修正がしきれなかったことが悔やまれる</li> </ul> </li> <li>感想 <ul> <li>羽田からシャルルドゴールの移動が長くてしんどい</li> <li>オリンピックの時期だからなのか元からなのかは不明だが空港の駅周辺は機関銃を装備した警官が何人もたっていて怖い</li> <li>やはり飛行機で PC 作業などとうてい無理 <ul> <li>小野先生は飛行機の中でかの有名な AuxIVA を実装したらしいが…</li> </ul> </li> <li>炭酸水でインスタント味噌汁を作る NTT 近藤さん・まだ渡米できないニート升山とおしゃれなフレンチを食した</li> <li>パラリンピックの聖火リレーのランナーを頑張って追いかける升山の様子を撮影することに成功した</li> <li>3MT contest にギリシャの ICASSP で仲良くなった台湾の学生が出ててびっくりした</li> <li>発表後は楽な気持ちで旧市街の Bouchon で優雅におフランスディナーを楽しんだ <ul> <li>阪大時代の先輩がリヨンの大学に留学していたらしいのでおススメを聞いた</li> </ul> </li> </ul> </li> </ul> </li> </ul> <h4 id="雑務-1">雑務</h4> <ul> <li>法人カード発行 <ul> <li>学内の会計手続きに使うためのクレジットカード</li> <li>ただし引き落としは個人の口座で行われるという謎の制度</li> </ul> </li> </ul> <h4 id="私生活-4">私生活</h4> <ul> <li>結婚指輪探し</li> <li>韓国ドラマ <ul> <li>슬기로운 의사생활 (賢い医師生活) <ul> <li>温かみある人情ドラマ</li> <li>バンドのシーンが多く昔の韓国の音楽を知るのにちょうどよい</li> </ul> </li> </ul> </li> </ul> <h3 id="2024-年-9-月">2024 年 9 月</h3> <h4 id="研究-5">研究</h4> <ul> <li>EUSIPCO からの帰還 <ul> <li>めちゃくちゃ体調を崩した</li> </ul> </li> <li>ASJ 研究発表会 at 関西大学 <ul> <li>若手飲みがかなり楽しい</li> <li>初の副座長業務 <ul> <li>良い質問を考えるのが結構むずかしい</li> </ul> </li> </ul> </li> <li>査読 <ul> <li>自分も参加したことのある会議の査読は近い分野が割り当てられることが多くさほど苦ではない</li> </ul> </li> <li>CREST 成果発表シンポジウム <ul> <li>Raspberry Pi リアルタイム音源分離を展示</li> <li>当日ラズパイに ssh 接続できなくてめちゃくちゃ焦り山岡先生に多大なるご迷惑をかけてしまった</li> </ul> </li> <li>ドイツ滞在 <ul> <li>本来乗るはずだった成田からフランクフルトへの便がキャンセルになりいきなり慌てたが無事に羽田から替えの便が手配された</li> <li>フランクフルトからブレーメンへ移動・ブレーメンからオルデンブルクへ移動</li> <li>滞在先のマンスリーマンション的な宿のオーナーがたまたま韓国人だった</li> <li>移動初日は時差ぼけと移動疲れで一歩も動けず</li> <li>自分の直近の研究内容を Doclo 先生のグループの前で発表した</li> <li>Kramer Markt という地域の祭りに出かけた</li> <li>週末に山岡先生と共に Wilhelmhaven という海軍博物館がある街へ繰り出す <ul> <li>船に大興奮する山岡先生を知った</li> </ul> </li> <li>11 月に日本に来ることになった Henri, Klaus とお互いの研究を語り合う</li> </ul> </li> </ul> <h4 id="私生活-5">私生活</h4> <ul> <li>韓国ドラマ <ul> <li>슬기로운 의사생활 2 (賢い医師生活: シーズン 2)</li> </ul> </li> <li>髭脱毛 <ul> <li>D1 の時から通っているのですでにかなりなくなってきている</li> <li>毎朝のことなのでかなり楽になった気がする</li> </ul> </li> <li>結婚指輪購入</li> <li>日本科学未来館</li> <li>電動アシスト自転車購入</li> </ul> <h3 id="2024-年-10-月">2024 年 10 月</h3> <h4 id="教育-5">教育</h4> <ul> <li>情報科学ゼミナール <ul> <li>卒研の練習のような位置付けで研究室における活動を学ぶための講義</li> <li>今年度は BSS の基礎を講義しつつ音響信号処理のハンズオンを企画</li> <li>熱意のある B3 が 4 名配属された</li> <li>毎週 2 コマ分あり準備がけっこう大変</li> </ul> </li> <li>研究プロジェクト演習 <ul> <li>違う研究室の大学院生たちが集まり何かを行う授業</li> <li>今年度は音響シーン認識・音源分離の OSS やアプリをいじってもらい課題を調査してもらうことを企画</li> <li>毎週昼休みの 1 時間だけ集まってもらいミーティング</li> </ul> </li> </ul> <h4 id="研究-6">研究</h4> <ul> <li>ドイツ滞在 <ul> <li>Oldenburg 大学の横にある Fraunhofer Division Hearing, Speech and Audio Technology を訪問</li> <li>Henri の奥さんがやっている合唱のライブを鑑賞</li> <li>同じ大学で別グループの Prof. Gerald Enzner のグループと議論</li> <li>他のグループのメンバーも含めた 20 人程度の聴衆がいる Colloquium にて登壇し自信の研究内容・研究室内の他のトピックを紹介</li> <li>夜行バスで弾丸ベルリン観光</li> <li>夜行バスで弾丸アムステルダム観光 <ul> <li>謎のホームレスに絡まれる</li> <li>王宮を見物したかったが運悪く工事中だった</li> <li>あまりにもカジュアルに大麻が売られすぎていてカルチャーショックをうける</li> <li>Amsterdam Sloterdijk 駅のレストランで日本のファミレスチェーンで見かける猫型ロボットを見て驚く</li> </ul> </li> <li>Kramer Markt 最終日にて花火を見物</li> <li>円安も相まって外食するたびに毎回 1 回 5000 円はかかる</li> <li><a href="http://www.openmha.org">openMHA</a> というマルチプラットフォームのリアルタイム信号処理ツールを知る</li> <li>最後の日は Anselm のガイド付きで Bremen の城下町を観光</li> </ul> </li> </ul> <h4 id="私生活-6">私生活</h4> <ul> <li>大学時代の友人と釜山旅行を企画</li> <li>韓国ドラマ <ul> <li>Mr. 플랑크톤 (ミスタープランクトン) <ul> <li>親に捨てられた男と親のいない女の物語</li> <li>かなり良い，ボロボロ泣いた</li> </ul> </li> </ul> </li> </ul> <h3 id="2024-年-11-月">2024 年 11 月</h3> <h4 id="教育-6">教育</h4> <ul> <li>情報科学ゼミナール</li> <li>研究プロジェクト演習</li> <li>システムプログラミング実験 <ul> <li>実験室のルータを入れ替え</li> <li>ネットワークに全然詳しくなかったため勉強しつつ前任の先生に色々聞いて頑張った</li> </ul> </li> <li>APSIPA 発表練習 <ul> <li>学生のポスターやスライドチェック</li> </ul> </li> </ul> <h4 id="研究-7">研究</h4> <ul> <li>Henri, Klaus ホスト <ul> <li>我々とは逆にドイツ側から都立大へ訪問</li> <li>南大沢の国際交流会館に泊まってもらっていた <ul> <li>書類仕事が思ったより多くもっと早めに動くべきたった</li> </ul> </li> <li>週末ボルダリングや柔道をしていたらしい</li> </ul> </li> </ul> <h4 id="私生活-7">私生活</h4> <ul> <li>都立大 学祭 <ul> <li>大学院から都立大に来たため南大沢キャンパスに縁がなくこれまで一度も行ったことがなかった</li> <li>研究室の学生のギター演奏を見た</li> <li>青春の風を感じた</li> </ul> </li> <li>竜泉寺の湯</li> <li><a href="https://qiita.com/n-taishi/items/c931fae53126641a9ab1">beamer+pympress 記事</a> 作成</li> <li>結婚指輪受け取り</li> <li>大阪帰省 <ul> <li>親から婚姻届の証人欄に署名をもらう</li> </ul> </li> <li>釜山旅行 <ul> <li>大学時代の友人と週末弾丸で旅行</li> <li>酒を飲み韓国料理を食べた</li> <li>海辺でドローンショーを見た</li> </ul> </li> </ul> <h3 id="2024-年-12-月">2024 年 12 月</h3> <h4 id="教育-7">教育</h4> <ul> <li>情報科学ゼミナール <ul> <li>2 コマ分喋り続けるのはなかなか大変</li> </ul> </li> <li>研究プロジェクト演習</li> <li>システムプログラミング実験 <ul> <li>実験室のネットワーク環境を変えたことが他の先生方の授業にも影響してしまい色々と焦る</li> <li>慣れないながらもソケット通信プログラムを指導する</li> <li>クリスマスにも実験したために学生からは不評だったかもしれない</li> </ul> </li> <li>ASJ 学生原稿チェック</li> </ul> <h4 id="研究-8">研究</h4> <ul> <li>APSIPA 2024 <ul> <li>ホテルのバーで京大の学生さん・木下先生・早稲田 田中さんと語る</li> <li>学生たちはしっかり発表してくれていた</li> <li>帰りの飛行機はほぼ気絶していた</li> </ul> </li> </ul> <h4 id="雑務-2">雑務</h4> <ul> <li>GPU サーバ購入 <ul> <li>ギリギリ 100 万円は超えなかったものの 50 万円はどうしても超えてしまうので会計課を通じて発注しなければならず結構たいへん</li> </ul> </li> <li>広報課からの依頼対応 <ul> <li>学科のパンフレットに載せるために Henri, Klaus と音響系の実験をしている風のシーンを撮影してほしいとのこと <ul> <li><a href="https://www.sd.tmu.ac.jp/academics/faculty/cs.html">学科のホームページ</a> とパンフレットに使ってもらいました</li> </ul> </li> </ul> </li> </ul> <h4 id="私生活-8">私生活</h4> <ul> <li>学科教員忘年会 <ul> <li>やはり大学教員は思想の強い人が多いため時として熱い議論が交わされる</li> </ul> </li> <li>入籍 <ul> <li>お互いの誕生日と同じ月は避けたい・指輪の納品まで時間がかかる・年内にはしたいなど様々な理由により12月15日という特になんでもない日になった</li> </ul> </li> <li>帰省 <ul> <li>妻の実家（愛知）で過ごしたのち私の実家（大阪）で過ごした</li> <li>妻の妹の息子（義理の甥とでも言うのだろうか）がとてもかわいい</li> </ul> </li> </ul> <h3 id="2025-年-1-月">2025 年 1 月</h3> <h4 id="教育-8">教育</h4> <ul> <li>ASJ 学生原稿添削</li> <li>システムプログラミング実験 <ul> <li>レポート諸注意</li> <li>実験レポート採点</li> </ul> </li> <li>共通テスト監督員 <ul> <li>約 10 時間拘束</li> <li>試験時間中は基本的に立ちっぱなしかつ問題冊子運搬の肉体労働でかなりきつい</li> <li>昼メシも落ち着いて食べられない（たぶん休憩時間も受験生より短い）</li> <li>何かあると容易に新聞沙汰になるというプレッシャーもきつい</li> <li>一応手当も出る <ul> <li>具体的な金額は非公開のため伏せるがコンビニの夜勤よりは少し高く情報系の学生が行くようなインターンの時給よりは安い</li> <li>拘束時間の長さと肉体的・精神的負担を考慮すると到底割に合わない</li> <li>ちなみに休日出勤や超過勤務による割増などはなにも適用されないようである</li> </ul> </li> <li>偉い人だれか一刻も早くこの業務を民営化してください、本当に。</li> </ul> </li> <li>研究室サーバ更新作業 <ul> <li>内部のドキュメント管理に Growi というサービスを使っているがバージョンアップを怠りすぎてやばいことになっていたので頑張って更新した</li> </ul> </li> <li>SPEASIP 学生原稿添削</li> <li>学生修論添削</li> </ul> <h4 id="研究-9">研究</h4> <ul> <li>uv 導入 <ul> <li>これまで使ってきた python 環境とかなり変わってまだ慣れないがパッケージのインストールは速くなった気がする</li> </ul> </li> <li>共同研究 <ul> <li>あまりに進捗が出なさすぎて自分に圧をかけるために月 1 回のミーティングを週 1 回にしてもらった</li> </ul> </li> </ul> <h4 id="私生活-9">私生活</h4> <ul> <li>結婚式場選び <ul> <li>ブライダルフェアがとても怖い</li> <li>たぶんどの時期に行っても何かしらの理由で 20 万円くらいの割引を提示され「今申し込まないとこの割引は無効になります」と選択を迫られる <ul> <li>1 個目の会場は「初めての見学割引」，2 個目は「繁忙期の 1 月最後の割引」</li> </ul> </li> <li>良いなと思った会場ほど後に回した方がよいと思われる</li> <li>4 個の会場を見学する予定だったが結局 2 件目に行った会場で申し込みをした</li> <li>結婚の予定がある男性のみなさんは結婚アフロ田中という漫画をお勧めする</li> </ul> </li> </ul> <h3 id="2025-年-2-月">2025 年 2 月</h3> <h4 id="教育-9">教育</h4> <ul> <li>情報科学ゼミナール <ul> <li>最後の週に学んだ成果をまとめて発表する義務がある</li> <li>学生たちはとても頑張っていて質疑にもしっかり対応できていた</li> </ul> </li> <li>研究プロジェクト演習 <ul> <li>情報科学ゼミナール同様に発表がありみんな頑張っていた</li> </ul> </li> </ul> <h4 id="研究-10">研究</h4> <ul> <li>共同研究 <ul> <li>シミュレーション実験があまりに複雑すぎて心が折れかける</li> <li>頻度を週 1 にしてもらってからなんとか少しずつ進めるようにはなったものの精神をすり減らす機会も増えたかもしれない</li> </ul> </li> <li>CREST 領域会議参加 <ul> <li>JST の研究予算はもれなく「領域会議」という行事が付属するらしい</li> <li>やはり分野の全然違う他のチームの研究内容についていくのがかなり難しい</li> </ul> </li> </ul> <h4 id="雑務-3">雑務</h4> <ul> <li>研究室内の古びた PC の廃棄・掃除</li> <li>研究室内の WiFi ルータ入れ替え作業 <ul> <li>ようやく古めかしい buffalo を駆逐した</li> <li>YAMAHA ルータの設定が細かいところまでできるのはいいがその代わり複雑なので少し手間取る</li> </ul> </li> <li>法定停電対応作業 <ul> <li>恒例のサーバシャットダウン・コンセント抜去</li> </ul> </li> <li>Doclo 先生 国際交流会館予約 <ul> <li>3 月末に Doclo 先生も都立大に来られることになった</li> </ul> </li> </ul> <h4 id="私生活-10">私生活</h4> <ul> <li>研究室飲み会 <ul> <li>卒論・修論発表お疲れ様でした的な飲み会をした</li> </ul> </li> <li>友人の結婚式 <ul> <li>大学時代の友人</li> <li>新郎の恩師がたまたま音響学会でお会いしたこともある近い分野の大学教員だった</li> </ul> </li> <li>整形外科 <ul> <li>首と腰の痛みが限界に達し受診</li> <li>ストレートネックだと言われ筋肉弛緩剤とかなんとかを注射してもらい凌いだ</li> </ul> </li> <li>映画 <ul> <li>ファーストキス <ul> <li>新婚は見た方がいいという評判だったので鑑賞</li> <li>妻が相当気に入った様子で私が学会出張している間に一人で 2 回目も見に行ったらしい</li> </ul> </li> </ul> </li> <li>韓国ドラマ <ul> <li>중증외상센터 (トラウマコード) <ul> <li>主演がチョコプラ長田に外見も声もそっくりであまり話が入ってこない</li> <li>かと思いきやかなり面白い</li> <li>推し女優のハヨンさんがレギュラー出演していて嬉しい</li> </ul> </li> <li>イカゲーム 2 <ul> <li>続き早く見たい</li> </ul> </li> </ul> </li> </ul> <h3 id="2025-年-3-月">2025 年 3 月</h3> <h4 id="教育-10">教育</h4> <ul> <li>ASJ 学生ポスター・スライド添削</li> <li>SPEASIP ワークショップ <ul> <li>坂東さんが運営でとても忙しそうにされていた</li> <li>研究室メンバーと島唄ライブつきの居酒屋で飲んだ</li> <li>2024 年に並びすぎて諦めた居酒屋のリベンジに成功した</li> <li>偉い先生方の 2 次会で熱いトークが繰り広げられていた</li> <li>異常気象が続いており東京と沖縄との温度差が最大で 20 度あった</li> </ul> </li> <li>共同研究 <ul> <li>あまりに進捗が悪すぎて色々ダメになる</li> </ul> </li> <li>ASJ at 埼玉大学 <ul> <li>モンスターエナジーが 190 円の自販機があり感動した</li> <li>大宮のおしゃれスペイン料理屋で TTS・VC 界隈の方々と飲み speech 方面への研究の機運を高めた</li> <li>最終日は雪が降り道が悪くなりすぎ疲労ですぐに帰宅した</li> </ul> </li> <li>CREST 最終シンポジウム <ul> <li>私は EUSIPCO で発表した内容をポスターで再度発表</li> <li>小野先生が iPhone で動作するリアルタイム音源分離デモを展示</li> <li>名古屋大学のメンバーと招待講演者の Prof. Yu Tsao と会食 <ul> <li>ICASSP 2023 で飲んで仲良くなった台湾の学生の指導教員であることを知り世界の狭さを感じる</li> </ul> </li> <li>CREST 期間中は年 2 回くらい名古屋にいくのがささやかな楽しみだったがそれがなくなり名古屋大メンバーとも頻繁に会えなくなると思うとエモくなった</li> </ul> </li> <li>YAMAHA 訪問 <ul> <li>M2 の学生が行っていた共同研究の一環で浜松のヤマハ本社に訪問した</li> <li>私は何もしなかったがヤマハ社内を案内してもらい色んな刺激を受けた</li> </ul> </li> <li>Doclo 先生 都立大滞在 <ul> <li>iPhone のリアルタイム BSS デモを体験してもらった</li> </ul> </li> </ul> <h4 id="雑務-4">雑務</h4> <ul> <li>研究室の環境改善 <ul> <li>卒業生が残して去っていった種々の呪物の処理</li> <li>待望の電動昇降デスクが導入される</li> </ul> </li> <li>Zotero 整理 <ul> <li>塩漬けになっていたいろんなファイルをすっきりさせた</li> </ul> </li> </ul> <h4 id="私生活-11">私生活</h4> <ul> <li>Anselm 再会 <ul> <li>本来 2 月末に都立大に来るはずだったがビザの問題でやむなく中止になった</li> <li>元々は 3 月に京阪奈の NTT でインターンが予定されており都立大への訪問はそれにくっつける予定だったらしい</li> <li>NTT インターン中の週末に東京まで会いにきてくれた</li> <li>浅草とスカイツリーを案内した</li> </ul> </li> <li>卒業式・学位授与式 <ul> <li>去年卒業したばかりなのに今年は教員になってから初めての送り出しイベントでエモい</li> </ul> </li> <li>韓国ドラマ <ul> <li>슬기로운 감빵생활 (刑務所のルールブック) <ul> <li>イカゲームシーズン 1 のライバル役の人が主演</li> <li>暗い話かと思いきや温かみある人情ドラマ</li> <li>4 話くらいから急速に面白くなる</li> </ul> </li> </ul> </li> <li>結婚式関連 <ul> <li>妻のドレス選び</li> <li>親族の衣装相談</li> </ul> </li> </ul> <h2 id="給与事情">給与事情</h2> <p>博士後期課程でもらっていた学振 DC との比較も含めて助教の給与をお話しします． 小町先生に倣い源泉徴収票の額を公開します． 特に断らない限りいわゆる額面（源泉徴収票の支払金額欄もしくは給与明細の支給額）を記入しています．</p> <pre><code class="language-plotly">{
  "data": [
    {
      "x": [2021, 2022, 2023, 2024],
      "y": [2270775, 3408473, 3480000, 5608160],
      "type": "bar"
    }
  ],
  "layout": {
    "title": {
      "text": "A plot"
    }
  }
}
</code></pre> <ul> <li>2021 年, 学振 DC1 + 都立大 RA, 2,270,775 <ul> <li>この年は学振 DC1 の月額 20 万円が 4 月から 12 月の 9 ヶ月分だけなので少ないです</li> </ul> </li> <li>2022 年, 学振 DC1 + 都立大 RA, 3,408,473 <ul> <li>学振 DC1 としてもらえる月額 20 万円と都立大の RA で月額約 9 万円いただいていました</li> <li>もちろん賃上げや賞与などありません</li> <li>2021 年は学振 DC1 の研究遂行経費という制度を使ったため所得控除額がかなり大きかったですが毎月 6 万円くらい書籍や備品を買うために悩む労力と JSPS の web システムで大量の物品を 1 行ずつ入力する作業があまりにもつらすぎて控除される税金額を上回る苦痛を感じたため 2 年目以降はやりませんでした <ul> <li>今思うと我慢してやっておいた方がちょっと得だったような気がします</li> </ul> </li> </ul> </li> <li>2023 年, 学振 DC1 + 都立大 RA, 3,480,000 <ul> <li>同上</li> </ul> </li> <li>2024 年, 都立大 助教, 5,608,160 <ul> <li>学振 DC1 + 都立大 RA 3 ヶ月, 都立大 助教 9 ヶ月の給与です</li> <li>アカデミアの闇のひとつとして有名な「給料がわからない」問題は本学にも当てはまります <ul> <li>4月1日の着任時に渡される通知をみるまでだいたいいくらくらいかという想像すらできません</li> <li>その通知書をもらっても賞与や試験監督の手当などは含まれていないので正確ではありません</li> <li>着任後はわかりませんが少なくとも初めて着任する時点ではどのような基準でその額になるかの面談などは一切なく4月1日まで何も知らされません</li> <li>またその額に不満があったとしても多分何も言えません</li> <li>そもそも労働条件通知書もなく労働契約書の署名もなかったため労働契約が締結されたかどうかも不明です</li> <li>もしかすると労働契約法が適用されていない可能性すらあります <ul> <li>ちなみに大学院生の RA の時は雇用開始の 1 ヶ月くらい前にきちんと「労働条件通知書 兼 労働契約書」と書かれた書類を確認し署名しました</li> <li>本当にどうなっているのか未だにわかっていません</li> </ul> </li> <li>労働組合の交渉のおかげで 12 月に賃上げされました</li> <li>6 月の賞与が 31 万円くらい・ 12 月の賞与は 90 万円くらいでした <ul> <li>12 月の方は税金が 20 万円くらいひかれてびっくりしました</li> </ul> </li> <li>少なくとも学振 DC1 の倍にはなると噂で聞いていましたが総合的にはそれくらいでした</li> </ul> </li> <li>学振 DC1 の期間は職歴として算入されるという噂を聞いていたのですが，あとで調べてみると都立大の規則では大学院に在籍している期間と学振DC1は同一視されるため給与の面では有利に働かなかったようです <ul> <li>ちなみに都立大だけではなく大学の教職員の給与体系は大学名+給与規則で検索するとだいたい出てきます</li> <li>「公開されてはいるけどどの号や級が適用されるかの基準がないからほとんど無意味」とよく言われています <ul> <li>ただし博士後期課程の新卒助教 1 年目に関しては規則を細かく読むとだいたいの傾向はつかめます</li> </ul> </li> </ul> </li> </ul> </li> </ul> <h2 id="おわりに">おわりに</h2> <p>やはり慣れないことをするのはかなり大変です． 月ごとに 3-4 行くらいの箇条書きにするつもりだったのですが書きながら結構なボリュームになってしまいました． 普通の文章にするともうとんでもない量になりインターネットの海に流してはいけないことまで書いてしまう気がしたのでこの程度にとどめておきます． 振り返ってみると相当大変だったと同時に充実していました． 学生から教員になったことと，結婚という2つの大きな変化に適応することの難しさを感じた一年でした．</p> <h3 id="学生と教員の違い">学生と教員の違い</h3> <p>教員になってからは講義という極めて重要かつ大きな時間を割く必要ある仕事が増えます． 博士課程時代も学部生・修士課程学生のメンターのようなこともしていましたが，教員になってからはより大きな責任を求められます． 学生の間はあまり回ってこなかった様々な雑務（査読・学会の仕事・来客の対応など）もこなす必要があります． 小野先生は極めて配慮が細かい方で若手が研究のための時間を確保できるよう様々な工夫をしてくださいますが，それでもやはり博士課程の時に比べれば時間の確保が難しくなりました． 今後は研究費を継続的に獲得することへのプレッシャーも感じます（まだ助教なので准教授以上の先生方のプレッシャーは想像もできませんが…）． これらの業務をこなしつつ研究にかける時間を増やす意識をより強く持つ必要を感じました．</p> <h3 id="結婚について">結婚について</h3> <p>独身時代の週末はのんびり教科書を読んだり韓国ドラマを一気見したり新しい vim のプラグインを試したりふらっと本屋に行ったりしていました． ただし結婚後は結婚に関連する種々のイベントが忙しくなり独身時代と同じ生き方では調整が難しくなりました． 教員生活どころか結婚生活にまだ適応しきれていない気がします． それらを言い訳にしてあまり研究できていませんでした． もちろん結婚したことにより妻と過ごす時間が増えたことはかなり大きいです． 研究が全然進まなかったときや出張から帰って疲れたときに妻と話す時間はとても貴重なものです． 妻の支えがなければ教員 1 年目どころか博士課程を終えることも難しかったかと思います． 妻には迷惑をかけてばかりですがいつも感謝しています．</p> <h3 id="反省の一年">反省の一年</h3> <p>この 1 年はひとえに私の怠惰による失速の年であったと言えます． 前向きに言えば次の年度へ向けた準備と言えなくもないですが，結果を見てみれば今年度は <strong>主著の発表ゼロ</strong> という研究者としては悲惨なものでした． 2024 年度中にジャーナルに投稿しようといっていた共同研究プロジェクトも延期につぐ延期になってしまいました． 小野先生からも「このままではまずい」と少し強めのお叱りを受けました（D1の時も全然アウトプットがなく同じようなお叱りを受けていました）． 総合的に見て今の仕事はとても気に入っていますが，研究者にはあまり向いていないと感じました． 出張の移動の合間にみる韓国ドラマと週末に妻と過ごす時間がなければこの一年間はきわめてつらい時間になっていたことでしょう． 2025 年度は大幅に改善しようと決意しました．</p> <h3 id="余談">余談</h3> <p>大学教員はどう生きるべきかなど高尚なことはだいたい冒頭に挙げた文献にまとまっているのでぜひご覧ください． 都立大で准教授以上の先生の生活はかの有名な <a href="https://komachi.hatenablog.com">小町先生のブログ</a> も面白いです． 勝手にリンク貼ると怒られそうですが，同じ学科の助教の先生方も面白い日記を公開していて面白いのでぜひ見てみてください．</p> <ul> <li><a href="https://kazuibasou.github.io/research_note.html">研究のーと - Kazuki Nakajima</a></li> <li><a href="https://standardtlak.org/mypage/diary.html?v11">未来から来た AI の日記</a></li> </ul>]]></content><author><name></name></author><category term="怪文書"/><category term="diary"/><category term="tweet"/><summary type="html"><![CDATA[tweets in my personal experiences as an assistant professor]]></summary></entry></feed>